T-T's profile助教の雑記帳PhotosBlogListsMore ![]() | Help |
消化不良08/31/2007 Japanese Junk Food はリハビリの甲斐あってある程度て食べることができるようになったが,未だにラーメン店のラーメンはちょっと駄目のようだ.今日の夕方も校門出てちょっとのところにある,雑誌にも掲載された某有名ラーメン店に行った.野菜と言って萌やしが築山のように盛られて出てくるラーメン屋.食べて居室に戻るまでの間にトイレで戻してしまった.具は100% made-in-Chinaだろうが,それとは関係ないだろう.やおらに量の多いものを食したが,胃で座りが悪いというか,食物というよりは異物のような違和感だったせいだろう. 今日は肉体的に疲労が蓄積していたせいかもしれない. 研究室に帰って,来週のスケジュール調整と思い,学部学生に電話する.彼の卒論は某D大との共同研究で,先方と訪問することになっていたからだ.来週の彼のスケジュールはどうか?いつが都合よいのかと尋ねるが,どうでも良いとのナマクラな返答.こっちで決めると告げると,「決まったら電話ください.」 これには腸が瞬間沸騰.その消火にMental Pointを消費する.「俺はお前の秘書じゃねぇ!」っと怒鳴りつけるほうがお互い健康的だったかもしれない. しばし,瞑想して気を鎮めていると,教授が学生室―私の居室―に来て,何やら職の話をしだす.要は公募を探して応募し,3月とかキリの良い時期なんて言わずにどこかへ行けということだった.大きな疲労感を覚えた.Tone down というより Torn down という感覚. まぁ,頭を切り替えよう.Junkを食べることができないのはDietに好都合.来る気のない子には放っておけば手がかからない.いつ抜けてもいいと.今の前途はAll Green と. 怪奇月食08/28/2007 月食は年に2回はあるものだが,食の時間に月が必ずしも地平線上に見えるわけではない.だから,頻度の少ない皆既月食を見ることができるのは有難いことなのだ.
実際,予報以上の雷雨. 突然,暗闇. 停電してしまった.まぁ,懐中電灯があるし….しかし,電池切れ….まだ,ロウソクがある.…マッチがない….ということで,廊下に出ると,非常灯だけだが結構明るかった.外を見ると,どうやらキャンパスだけが停電.大学の変電設備がやられたのかな? S助教に「ライター貸してください」とお願いすると,「タバコ止めた」とか.それでも暗闇の中机からライターを出してくださる優しいS助教.ロウソクは点いた.
などと口をつくのは世代が古い? しばらくすると,復電.どうやら大学のメールサーバが落ちてしまったらしい.ネットワークは生きているけど. 北海道、九州地方などで見られた28日の皆既月食【2007年8月28日 アストロアーツ】 誕生日08/25/2007 歳とともに誕生日の嬉しさはなくなってくるが,なんで誕生日にこんなことしているんだろうなぁっと憂鬱になった. 日が変わっていたのに気付いたのは深夜1時.研究室でご近所迷惑にも"PETボトル踏みつぶし"をやっていたときだ. 坊や達はやらないし逃げる. まぁ,掃除,ゴミ捨てを逃げるのはまだ可愛いほうで,末恐ろしいことに,輪読を逃げる. 単に私の教育能力の不足でもあるが,私も逃げているのだ. 結局,放任. 私もいい加減38歳になった.ここは大人になって割り切ろう. 理工系で損をした? ―第2報―08/19/2007 さて,学歴を勘案すると,法文系と理工系の賃金格差はどのようになるのだろう. 理系.infoには,2006年の大阪大学の報告によれば,22歳から60歳まで働くと仮定の下,理系の総収入が3億8400万円,文系の総収入は4億3600万円.差額,5200万円とか.この値の最初の印象は,生涯総収入が4億円前後というのが驚き.この記事は松繁寿和准教授(大阪大学)の調査1)をもとにした「理系白書」2)からの引用をしている3次資料なので,どの程度ことが正確になっているかわからない.ともあれ,松繁准教授の調査は,これは恐らく大阪大学の卒業生を対象にしているあろうから,一般より賃金が高い集団のハナシと思われる.本学も一応一流大学であるからして,この学生のボヤキにはこの調査を下に現実を探るのは悪くないだろう. ということで,国税庁の平成17年度資料3)と,松繁准教授の1997年の調査を比較してみる.国税庁の資料は年齢階層が5歳毎の表なので,10歳毎に変換した.
グラフを見ていただければわかるが,20歳以上のどの年齢階層においても,阪大卒(多分)の平均賃金は一般のそれより多く,30歳以上になるとダブルスコアの様相を呈する. 諸外国に比較して,日本では学歴格差は著しく小さいと言われてきた.
ということだ.後半の大学が乱造されたら有名大学が云々は筋が通っていないが,要は,大卒といっても大学によって質に雲泥の差があるということだろう. 学歴によって結果的に賃金格差がこれほど拡大してきたからと言って,格差社会は是正すべきというのは短絡的. ということで,私もかなりヒガミがはいる意見となるが,これまでの法文系の高賃金は労苦の割には報われすぎていたと思う.それは,特に金融証券業は国際競争にあまりさらされておらず,大きなコストダウンと高効率化を強いられてきていなかったからではないだろうか.しかし,金融国際解放がなされ,これからはそうもいっていられなくなるだろう.諸外国のホンモノの専門知識と,エゲツなくそれを利用する知恵を備えたものとの競争に晒されるからだ.もしかしたら,これからは製造業の中にいる方が安定して高賃金を得られるかもしれない.
理工系で損をした?08/19/2007 明日から院試―大学院入試―が始まる.3日間ではあるが,明日は外国語科目のみ.本学ではTOEICで外国語試験に変えることができるので,明後日から試験という学生がほとんどかもしれない. 毎年この時期になると,院試勉強のB4(学部四年生)をみて,M2(修士2年生)が言う;
理工系の学生にとって,鬱になる現実だ.いや,本当に現実なのか? 国税庁の「平成17年分民間給与実態統計調査」1)によれば,平均給与は金属機械工業が金融保険・不動産業を15万円ばかり上回る.ちなみに,昨今給与の良いとされるIT産業が属する運輸通信公益事業は50万円ばかり,平均で低い.とはいえ,いずれも全産業平均からみれば,70万から120万円ばかり平均給与は高い.文系クンが金融関係に行かなければ,得とは言えないのだ. 平均値での比較は大まかであるので,給与階級別―つまり,給与の分布で見てみよう.グラフに積み上げグラフ(累積分布グラフ)で給与の分布を示している. とすると,別に機械を出たからって損しているわけじゃないんじゃないの?ってことになる.しかし,実態とちょっとそれは離れている.それは,この業種別の給与では学歴,職歴が反映されないからだ. 表1: 業種別平均給与と中位点給与
1) 国税庁: 平成17年分民間給与実態統計調査 ,平成18年9月 終戦の日 -少年の場合-08/05/2007 私も先々長くないだろうから書けることは書いておこう.
広島県呉に生まれ育った父は当時旧制中学1年生だった.7月末より動員され鎮守府の工場で機械工をしていた.もとより機械系のセンスのない父なので,任せられた旋盤でのネジ切りで,捩じ込めないネジを量産していたらしい.時局困難なあの時期に益々物資を浪費するとは国賊モノ.しかし,周りの大人たちも仕方ないと諦めていたらしい.彼らとて本物の職工ではなかったからだろう.資源不足は物資だけでなく人材にも及んでいたようだ. よく晴れ上がった日だったらしい.瀬戸内の夏は暑く,昼前に工場外の広場に整列した際には,ゲンナリしていたそうだ.8月6日の新型爆弾の説明かと噂がたってもいたらしい.8月6日の朝礼時に広島方面から大きく立ち昇るキノコ雲を目撃し,その後の風説に広島全滅と流れ,誰もが広島市内の親戚や家族のの心配をしていたようだ.朝の爆撃に昼には既に捜索隊,救援隊が出発しており,その報告がされるのではと皆期待していたらしい.父も2人の姉が己斐と東雲におり,また,看護婦だった別の姉が広島にいったきり帰っていなかったのが心配だった.彼女らのその後が短かったのは言うまでもない. 期待は裏切られ,よく聴き取れない放送を聞かされた.
誰もが茫然だったようだ.誰もがやがて来る結末と諦観を抱いていたようだが,やはり,受容れてはみても実感には届かなかったのだろう.午後は作業打ち止めということで誰もがトボトボと帰宅したらしい.帰り道に不意に空襲警報がなることも―既に空襲警報は鳴らぬか,無意味となっていたらしいが―,米軍の艦載機に銃撃されることも,無くなると言われたのにはホッとしたとか. 翌日,父達徴用工は正式に解雇された.意外とそのあたりは軍も律儀で8月半月の給料に退職金も出たそうな.呉鎮守府という,被害が軽く―とかいいつつ呉市は焼け野原に近かったようだが―まだまだマシな街だから,お金も出せたのかもしれない.この退職金というのがとても嬉しかったらしく,特に,日割で大人と同じ額が出たというのを得々と聞かせてくれる.少年にとって大人と同等というのは昔から何よりも誇らしい栄誉なのだろう.同日に新規雇用され呉鎮守府の兵器解体,秘匿―土中に埋めること―の職をあてがわれたそうだ.残念ながらこの仕事では給与はほとんど出なかったようだ.8月末の給与日には雇用者は進駐軍になっており,チョコレート以外では,ドケチな米兵に労働を強いられたそうな. 皇国少年の身の翻し方は大人顔負けに早かったようで,9月には肉体労働に加えてGIクラブで下働きをするようになる.「英語を勉強するため」というが,どうだか・・・.GIにからかい半分で飲まされたCokeは衝撃的で,これが強者の味わう旨い飲み物なのだと思ったらしい.微妙な感想だ.当時のCoca Colaのフレーバーは薬のようだったと多くの日本人が語っている.森繁久彌も衝撃とは言っていたが美味とは言っていない.物心ついたときには戦時中でロクなものを食べていない少年だからこそ美味くも感じたのかもしれない. 戦後の間もない頃は衝撃的体験の連続だったらしく,父の話はとても長くなる.中学生の頃の私は,「お前まともに学校行っていなかったんじゃねぇの?」と内心反駁したが,絶対者に反抗するほど勇気はなかった.とはいえ,墨塗り教科書ばかり学校にいっても勉強なんてということだったらしい.鬼畜米英への敵愾心は,やがて,帝国を葬った国をこの目で見てみたいとの野望に変わったようだ.勉強して学を積まないことには日本を出ることもおぼつかないと思い至り,学校に戻ったようだ. 終戦の日08/15/2007
祖母は立ち上がりながらそう言ったそうだ.1945年8月15日.上海虹口にある住居の居間.木製アーチ型布張りのラジオの前に兄と正座されられていた当時6歳の母には放送の内容はわからなかったそうだ.祖母がそのとき安堵を覚えた,前途の多難を危惧したのか,27年間に及ぶ上海生活が去来したのか,今更ながら,尋ねておけばよかった. 明治33年(1900年)長崎県諫早生まれの祖母は,18歳のときに保守的な両親の下から出奔,上海に渡った.当時日本企業が多く大陸に進出し,上海には多くの日本人が住んでいた.祖母は,最初,郡是製絲株式会社(現グンゼ㈱)で現地縫製工―要は中国人お針子―の縫製指導員をしていたらしい1). 既に東洋最大の都市となり,「魔都」とも称された上海ではとても楽しい日々を送ったようだ.蘇州の湖で友人らと水着―大正時代の水着だから露出度は推して知るべし―を着て水遊びをしていたところ,現地警察に猥褻であるとして捕まったことを得々として何度も祖母は話したものだ.上海領事館から引き取りの迎えが―大仰だなぁ―まだ若かりし頃の重光葵だったとか2).東亜の中心都市であった上海には今流で言うセレブが多く集まっていたらしく,宋家三姉妹が輿に乗ってどっかへ行ったを見たとか,内山書店で茶をすすっていた魯迅と話したことがあるとか,若きイサム・ノグチを見たことがあるとか,祖母は,まぁ,嬉々として繰り返し繰り返し孫の私に語っていた.残念ながらセレブの世界には入れなかったようだが,船乗りだった祖父と出会い,結婚した. 重光葵に関しては「足が吹っ飛んだ」3)目撃談もしてくれることがあったが,既に,楽しい上海ではなかったようだ.祖父は,船乗りの宿命,家を長期で空けていたが,仲睦まじかったようだ.祖父は教養人で大人しい性格だったから我儘で苛烈な祖母と性格が合ったのだろう―合わせて貰っていた?.2人の男児を授かったが,上海事変(昭和7年(1932年))で炎上する市街を逃げ惑う中,背中におぶった次男が死亡.火除けの袢纏の下におぶられていたが,赤子は熱に耐えられなかったようだ.数年後,長男も誘拐され行方不明となった.当時―今も?-中国では児童人身売買が活発で,日本人児童は高値取引されていたようだ.そんなことに遭ったかは無論定かではないが,長男がいい人のところでいい暮らしができていればと祖母は願っていた.とはいえ,山崎豊子『大地の子』は「嘘っぱち」と大嫌いな小説だった.その後,叔父と母が生まれる. 日支交戦,満州・華北の戦闘が長江流域を遡上し,対英米開戦と泥縄式に拡大する戦争が「大東亜戦争」と呼ばれるに至り,上海の生活も時局の困難さが反映されるようになっていったらしい.洋装や長袢4)といった御洒落を好み,朝食はチーズとクロワッサンに紅茶と決めていた祖母―要はフランスかぶれ―も,モンペを穿かされ,マズイ日本食になったらしい―内地の人が聞いたら憤激.戦争末期には竹槍訓練もあったとか.貨物船の船長となっていた祖父は徴用され南方に行っていた.潮が引くようにユダヤ人商人がいなくなり,「李香蘭がフランス租界に逃げ込んだ」と流言が飛び,終戦は間近と虹口の誰もが確信していたらしい. 玉音放送は華人を明るくしたが,邦人には困難な時代を告げていた.祖父を待って引き揚げを延ばしたようだが翌年諦めて帰国.勘当されていたので長崎の弟の許に母子三人で居候となる.徴用されていた祖父は戦争協力者としてフィリピンでC級戦犯となっていた.引き上げ前後の混乱は,互助もあれば裏切り,騙しも横行し,また,外地引揚者への差別も待っていた.あまり聞きたい話ではなかった.話したい話でもなかったようだ.
昭和天皇のことである.一歳年下の「颯爽とした」摂政宮は,同年代の上海仲間ではアイドル的扱いだったようだ.ニュース映画や新聞で見る笑った顔がユーモラスだったり,洋装が「カッコ付け」っぽくダサい感じが彼女らに親近感を湧かせたらしい.畏れ多いとも思わず,それは日本を離れていたからなのかもしれないが,案外当時の日本人女性も今の女性セブン的に皇族を捉えていたのかもしれない.もっとも,2人の息子をとられたのだから赦しようにも赦し難いだろう.しかし,崩御の折に
と言った. 余談だが,祖母は平和主義者ではない.小学生の私に,
と超右翼発言を言い聞かせている.残念だか,幸運だか,大戦はなかったし,これから私が徴兵される戦争があるとすれば負け戦だろう.腑抜ケと揶揄されぬように,そうねぇ,Billy's Bootcampでも始めようかな.
1) 郡是製絲株式会社に雇われていたのが結婚前だったらしいが,同社がどのような形態で中国に進出していたかはよく分からない.グンセ㈱の社史を調べてみたいが,市販されているわけでもないようだし・・・. 2) 未確認.重光葵(しげみつ・まもる)は大正時代には既に外務省に入省し,各国公使をしているが,大正7年から12年の間に上海にいたかはわからない. 3) 重光葵は昭和7年(1932年)4月29日の天皇誕生日に,上海虹口公園での天長節祝賀式典で朝鮮独立運動家の爆弾テロに遭って右足を失っている.この祝典には在上海日本人が多数集まっており,多くの人が目撃している. 4) ツァンソンとかと言っていたが,多分,派手目のアオザイかチャイナドレスのことかな?復活の私08/10/2007
朝7時の時点で既に外気温31℃,室内気温32℃.寮のメイちゃんもウダル~っとダラダラしています. 中国から飛来する光化学スモッグか黄砂か,あるいは,フランスで貰った病気か,よくわからないけど,7月の初めからこのかた頭痛,咳,高熱と悩まされてきました.咳はどうにか良くなりつつあります.頭痛は相変わらず.熱は夕方から夜に微熱と悪寒.とはいえ,なんとか気力が回復しつつあるのが助け. やはり,病気になったらJunk Food食べないと栄養が補給できませんね.今回の特効薬は
石川台駅前のタコ焼きは下痢起こしましたが・・・.これでMagie Mooseのアイスクリームが食べることができれば,全回復―回腹でも開腹でもありません―なんだけど・・・. さぁ,出勤しましょう.
1) 興華: 大田区南千束にある中華料理屋.大陸系中国人留学生にいわせると台湾料理屋.某大機械系学生がここを覚えると,夜昼なく研究する状態に入った兆候.
|
|
|