Profilo di T-T助教の雑記帳FotoBlogElenchiAltro ![]() | Guida |
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過年度伝票2009/04/03 先月末、学位記授与式が終わり、修士、学部学生が修了、卒業していった。 今年度の学生さんたちはGWに来校する積りらしく、机を綺麗に片づけていかなかった。卒業式の数日前、とりあえず、図書館への未返却本や重要書類を押収しなくてはいけない。引出しを開け、バサバサと昔のシラバスやら、大学生協のチラシやら、意味不明のメモやらを右に左に寄せる。と、その中からあろうことか伝票が出てきた。しかも昨年度のもの。 まずは業者に電話し、詫び。次いで、経理書類を急いで作成し、理由書ーつまり詫び書を添えて提出。 一週間して経理より電話があり、過年度分の伝票は大学としては払えないとのこと。昨年度末に理由書を付けても払うことは罷りならぬという通知があったはずだとの旨、周知済みとのこと。では、この伝票の支払いは如何と問うに、返事無し。 「では、この支払いをどのようにすればよろしいですか?参考までに解決法を教えていただけませんか?」 これは厭味に聞こえただろう。無論、先方無言。私もホトホト我が弱い。伝票をきっちり学生から回収していないのがそもそも悪いのだ。 「了解しました。私が自腹を切ります。それでヨロシイですね。」 無論、同意を口にできるはずもない。法人運営に必要な設備を職員に買わせるのだから。 結局、10数万円とはいかずとも、定額給付金の数倍になる研究機器を私物にしてしまった。徹底的に洗浄して重金属を取り除けば、自宅に持ち帰って使えるかな? 定額給付金定額給付金のお知らせが届いた。 一応大学教員なので文化人や知識人を気取って定額給付金に批判的でないといけないのか知らん。麻生政権の景気対策には効果がないなどと反体制的な反骨精神を見せなければいけないのかも知らん。 しかし、さもしい私は素直に喜んで、免許証と通帳のコピーを書類に添えて返送。あとは入金を待つばかり。 そもそも、定額給付金は麻生景気対策70数兆円の一部だと、聞いている。「麻生 景気対策 内容」でネット検索をかけると、内容に関しては殆ど検索結果が引っかからない。致し方ないので首相官邸のHPへ。 景気対策3段ロケットをみると、意外とわかりやすく内容が整理されている。雇用対策、中小企業支援対策、生活者支援、成長力強化、農林水産業対策、 住宅・防災対策などなど。悪く言えば総花的だが、経済評論家やテレビコメンテータが「定額給付金よりこちらを…」と触れる事柄は網羅されている。特徴的なのは、社会基盤整備などの箱モノ公共事業がない、あるいは、主眼を置いていないこと。失業者保険や中小企業融資、定額給付金、省エネ投資・開発支援、子育て支援等々、ソフト面の支援が並ぶ。ある意味、どれもこれも、お金のバラマキ。しかし、従来の公共事業でバラマカれていた向きはおこぼれの額が小さいようだ。 公共土木事業批判、高齢者対策、少子化対策、環境対策と過去10年ぐらい声高に叫ばれてきた政策が反映されているので、まぁ、喜ばしいのではないか。そうそう批判する必要もあるまい。 ということで、定額給付金はありがたく頂戴して、政府の意図するところのとおりに消費活動に向けたい。 もしも、定額給付金受給に反対、躊躇しておられる方がおられれば、是非、当研究室に寄付をしていただけないだろうか。環境関連技術の研究、将来の日本を担う若者の教育を熱意をもって遂行しているので、例え、12,000円でも無駄になることはないと思う。 Airbus A3802008/06/15
っというのが最初の印象.遠目に見るとそれほど大きく感じない.しかし,尾翼も,エンジンも,胴体も巨大だから全体のバランスからずんぐりした飛行機に見える. 秋葉原通り魔事件2008/06/22 などと考えながら研究室からでる支度をして,何気なくWebブラウザを開くと「秋葉原通り魔事件」の速報がトップに出ていた.
社会不安を抑制するためか悲惨な事件も控えめに表現する報道に反感を覚えたが,これは個人が個人的な理由で起こした「通り魔」だった.別段政治的メッセージもなく,自らの境遇を嘆いた果ての暴発だった.それで7名が帰ってこないというのは,なんとも,悲しいとしか,心寒いとしかいいようがない. これから先どうすればいい?と考えても,個人的な理由から起こされた大量殺人に社会システムでどうこうできるものだろうか.トラックどころか原付でもやろうと思えば何人もの人が殺せる.やろうと思う状況に陥らないように,踏み外さないように,自分が努力するしかない.そして自分の周囲がそう陥らないように関心を持つようにするぐらいだろう.
ところで,秋葉原の歩行者天国が廃止されていたが,通り魔事件の防止に何が関係するのかさっぱりわからない.むしろ,歩道を混雑させるだけ,トラックが突っ込んだ時の被害者は激増するのだろうし,混雑する歩道で刃物を振り回されたら,余計に殺傷人数が増える.防止するのなら,中央通りだけでなく,電気街口UDX側ロータリーから昌平橋の通りまで,十文字に,歩行者天国とするべきだろう. 青いなぁ2008/05/27 青は好きな色の一つだ.空の青,海の青,月明かりの青と自然の中の青はどれも美しい.こういったイメージから「希望」「冷静」のイメージを青は伴うことがある.一方で,「寒さ」や「鬱」なども青が象徴する.交通機動隊員に青キップを切られたときには鬱になり,反則金を払うときには懐が寒くなる. 反則金のごときは痛いは痛いが,お金で解決できること.それができないと,本当に青ざめる. 週末はOSの入れ直しですね. 【ニコニコ動画】高速ぬっこぬこ!!!+谷山浩子「ブルーブルーブルー」
SharePoint Service04/08/2008 学部四年生の研究室配属が明日決まるので,その前に,研究室のサーバのお手入れをした これまではDHCP,DNS,Active Directory,ファイルサービス,IISを1台のPentiumIIIマシンに負わせてきた.OSはWindows Server 2003+Service Pack 2.DHCP,DNSはそれでもいいかもしれないが,Acrive Directory Domain Controler (AD DC)が1台というのも心もとない.ということで,Windows Server 2008をCeleron(2.4GHz)マシンに導入し,Active Directory DCが2台の冗長な構成にした. これで一安心 AD DCも2台になったし,サーバのスペックも上がったので,かねてからやりたかったグループウェア あまりに導入が楽なので,調子に乗って,GroupBoardも入れた."行き先掲示板","回覧板","電話メモ"と馴染み深い業務慣行に沿ったテンプレートを提供するSSPのアドオン.
ということでGroupBoardはアンインストール.しかし,GroupBoardの痕跡がSSPのホームページに残ってしまった.どうやったら消せるのだろう?? まぁ,ボチボチやっていこう.学生も大学でグループウェアに馴れれば,企業に就職後も特に違和感なく業務に入れるだろう.少なくとも,「グループウェアって初めて見た」なんて未開人なコメントしないだろうなぁ 再インストール04/06/2008 ノートPCを富士通FMV-T8140に乗り換えて2ヵ月ぐらいに経過した.VistaにSP1を当て特に問題はなく動いていたが,逢う日突然(笑)ネットワーク接続ができなくなった.レジストリ最適化ツールの使いすぎだったかも….あるいは起動を早めるために切るサービスを間違えたのかも.などと考えつつ,どうしようもないのでOSの再インストール.今回はSP1が最初から当たったVistaのDVD-ROMからインストールしたので,多分,パフォーマンスは改善されるだろう. 面倒なのはOSのインストールの後.アプリケーション群の再インストール.結構,たくさん入れているので,非常に時間がかかる.とりあえず,Windows Update.ディスプレーやチップセットの新しいドライバを入れる.そして,富士通のドライバ,ユーティリティ類を入れる.そして,また,Windows Update.その後,おもむろに,Daemon Tools. Microsoft Office 2007 Ultimateをインストール.Word,Excel,Outlook,PowerPointは常用.オプションの数式エディタも忘れずに.OneNoteも使い慣れると便利.最近,Accessを使っていない.Publisherは発表用ポスターを作成するときだけかな.InfoPath,InterConnectは使い方がわからんので,ボチボチ弄って遊ぼう.Grooveは弄りたいけど,どうも,独りでは遊べないようだ.ついでに,Visioを入れる.機械部品の製図には割と使えるので. 次にプログラミング系.当然,Visual Studio 2008とMSDN Library.このインストールは時間がかかるので,その間に風呂に入る.身体がポカポカ暖まっている状態で,Intel Math Kernel Library.これは数値計算に使う,MKLのBLAS,LAPACKのヘッダーファイルはちょっと特殊なので,他の数値計算コードをコンパイルするために,clapackをダウンロードして展開,makeして.lib,.dllを作る.今回はnetbeansは見送る.Javaは暫く使わないだろうからだ. これで最低限,お仕事はできる・・・かな? いやいや,GNUPLOTが必要.それから,MathematicaとSciLabを入れる.どれもグラフを描くのに使うし,後二者は数式を扱うのに便利だからだ…というより,Mathematica使わないと,数式が扱えないほど脳が退化してしまった.でも,いずれもコマンドライン入力で,しばらく使わないと,コマンド自体を忘れてしまうんだよね. そして,長年のお付き合い,Corel Draw.今回はCorelDraw Graphics Suite X3.コーレルの製品はDraw 4.0の時からのお付き合い.操作に慣れてしまっていて,他のお絵描きソフトは使えない状態.それに,文献に載っているグラフのトレースに非常に便利. それから,Endnote X1.言わずと知れた文献管理ソフト.Endnote Webも入れておく.お仕事に使うのには,更に,Abaqus 6.7 SE.汎用有限要素解析ソフトの学生版.大学の計算機センターにアクセスすればAbaqusのフルバージョンが使えるが,まずは手元でということで.TurboCADも入れておこうかと思ったが,必要になったらでいいか….そうそう,計算機センターへのアクセスに必要なので,Cygwinをインストール. 最後に,Windows Live OneCareと,諸々のLive製品群.そして,Windows Update. う~ん,初期導入だけで30GBを使ってしまった. 教科書04/01/2008 昨年末あたりはニコ厨というぐらいににこにこ動画を観ていた気がする.アニメを継ぎ接ぎしたMAD作品とかはかなり楽しませて貰った.既存の映像作品を再編集して一つの映像作品にするにしても著作権の問題は避けて通れないようようだ.権利者が異議を申し立てて削除される動画もある. ところで,大学で用いている教科書などは著作権はどうなるのだろう.図版を掲載するか,文章を引用するとかという単純な問題でなく,章立てとか,現象の説明する順序,仕方が似たり寄ったりだと,剽窃に当たるのだろうか.
いや,実はこの本,冶金系の熱化学ではバイブルともいえる本のようだ.大学の図書館から借りたが,装丁はボロボロで背表紙はガムテープ貼り.ページをめくるたびに埃やカビがたって,目元が痒くなる.ありがたいことに諸先輩方が重要な箇所に波線を引いてくれているし,結論的部分は四角枠で囲んであったり,数式の間違いを鉛筆で訂正までしてくださっている.
の説明,式の展開とほとんど変わらなかった.この本もとても良い本だが,Kubashewski と小原先生とどちらが先なのだろう.1967年時点で第三版にまでなっているKubashwskiの方が先なんだろう.まぁ,「金属組織学概論」は学部の教科書だし,熱化学について詳細に説明しているわけではないし. 因みにMetallurgical Themochemistryは改訂第6版が1993年に出ているらしい.しかし,絶版.ペーパーバックでほしいところだが,Amazon.comでも入手不可になっている.残念. 天気図の日02/16/2008 毎日何かしらかの日ではあるのだが,今日は天気図の日 小学校の理科で天気図と書き方を習った覚えがある.天気図作成が夏休みから秋にかけての一時のマイブーム.毎日,NHKラジオをエアチェック(死語? 四半世紀が過ぎたが,手書きの天気図の書き方はあまり変化がないようだ1).時代が変わったなぁと思うのは,東シナ海から西側の中国本土の観測点が加わったこと.当時は国内観測点と洋上の観測点を合わせて50点程度だったと思うが,国内観測点の放送は減り,その代り,長春,大連,北京や漢口などが加わっている.とはいえ, まだ将軍様の地域は提供していただけないようだ 各都市の気象情報は中国から公式発表があるようだが,残念なことに,中国より黄砂に関する気象情報の提供が受けられなくなった2).気象情報は国家機密扱いということでデータ提供を拒否したということらしい.驚くこともないが,気象情報は軍事では重要な情報. かつては気象情報というより気象現象そのものも軍事機密にされた.例えば,旧海軍の第四艦隊事件では,台風の進行方向に向かって第四象限で最も風雨,波浪が激烈になることが判明したが,軍事機密として伏せられたという.また,ジェット気流も日本,米国,ドイツ,それぞれがその存在に気が付いていたが,軍機扱いとなっていた. 今時,気象衛星や地球観測衛星で気象情報など得られるだろうとも思われる.しかし,やはり,軌道上からの観測と地表・上空の実測との照合の蓄積がなければ,気象データとして精度は落ちるだろう. さて,今時の天気図の作成は手で等温線や等圧線を描く必要はないらしい.天気図作成ソフトWeather Chart Editorというのもがある.これはNHK放送の気象情報を入力するだけで,なかなか美しい天気図を作成してくれる.残念なことにtenki.jpを見回っても観測地点の気象情報データは見当たらないので,あのノッペリ平坦なNHKアナウンサの声を20分間聞き入らなくてはいけないようだ. 1) 天気図の記入方法 2) 「黄砂予報精度かすむ、国家機密と中国がデータ提供拒否」(読売新聞 2008年2月16日14時34分) 明けましておめでとうございます謹 賀 新 年
かなりご無沙汰になっているブログですが,本年もよろしくお願いいたします.
年末年始も使えない状態で,ニコニコ動画をみては寝入っておりました.ニコ動もそろそろ飽きてきたので,しっかりと仕事に励みたいと思います.
「ThinkPad」15周年記念モデル、レノボ・ジャパンが発売 PC&デジタルカメラ-最新ニュース:IT-PLUS「ThinkPad」15周年記念モデル、レノボ・ジャパンが発売 PC&デジタルカメラ-最新ニュース:IT-PLUS ThinkPadのブランドは最初から約束されていたようなものだ.ラバー調の黒の鏡体に赤緑青のIBMのロゴ.シンプルな外観がビジネス向け,高性能との印象だった.事実,性能,外部ポートの充実,サポート体制のどれをとっても巨人IBMのブランドイメージに恥じない製品だった.何よりもIBM独特のキータッチが良かった.ただし,お値段もIBM製品そのものというものだった.そのため,私はThinkPadを一度も保有したことがない.1992年のデビュー当時に販促品として貰ったThinkPad型のノートをいつも持っていたが・・・ 最初のノートパソコンを購入したのは修士1年の夏前だったと思う.$1.00が80円を割り込んだ時に,Compudyne 4DX-33(i486DX 33MHz)マシンを購入した.白い鏡体にペパーミントでCompudyneのロゴが可愛い製品だった.輸入にかかる代金が総額で22万円ほどで,学生の私には清水の舞台から飛び降りる思いだった.
というありがちな別れ話のときも小脇に抱えられていた その次がChandra2.NP40Jだったかな.IBMとRICOHの合弁会社であるRIOS SYSTEMS製.Yahoo!Auctionsで購入.12万円ほど.とても良い製品だったが,1999年にRIOSが解散.ということで,HDDの換装以外はしない状態で,ヤフオクで放出.10万円ほどで売れた.今でも名機と語られるNotePC.使い勝手は良かったが,売り払い時の値段が高価なのが良い品を証明していたと思う. その10万円を原資に,TOSHIBA DynaBookSS 3470を購入.1999年当時,メジャーになりつつあった,Kakaku.comで価格を比較して,アキバの末広町側のお店で購入したと思う.初めて,OSがプリインストールされているノートパソコンを買った―これまた1週間しないうちにパーティション切りのためにOSはインストールしなおしたけど… ここ3年ほどはVictor Interlink MP-XP7310を使用している.A5モバイルということで,小さくて,軽くて,とても使いやすい.改造にはT7Hという穴開きトルクスドライバが必要だが,それほど難しくはない.と,いいつつ,HDDと無線LANの換装しか行っていない.残念ながらMP-XP7310にはVistaは重く,もう一度,WinXPに入れなおそうかと思っている・・・. などと,前置きが長かったが,そう,Intelinkを買い替えようかと思っている.というのも,どうも外部VGA出力の調子が良くないからだ.NotePCで発表の機会が多いので,外部VGA出力はどうしても必要な機能.多分,専用出力ケーブルが悪いのだろう.剃刀で裂いてはんだ付けしなおせばOK? こういう時に,卓上X線CTとかあれば便利だなと思う.非破壊で接合状態とかわかるのだから.しかし,ノーパソを我慢して買える値段でもない. というわけで,ThinkPadがいいなぁ.できればTabletPC型のThinkPad X61 Tablet 778411I.性能はメインマシンにしても良いぐらいHi Spec.何より,液晶をひっくり返してタブレットにすれば,pdfの文献を表示しながら,ペンで蛍光マーキングしたりできる―ソファに寝転びながら.しかし,標準バッテリーが公称3時間しか持たなくて,1.85kgの重さは辛い.拡張バッテリー込みだと2.0kgを超える.ソファに寝転びながら掲げていたら,ベンチプレスになる. いろいろ考えていると,最近,円高傾向.悲しいことに私のBOA口座は大赤字を出している.これの補填に送金するのを優先するかな・・・ 消化不良08/31/2007 Japanese Junk Food はリハビリの甲斐あってある程度て食べることができるようになったが,未だにラーメン店のラーメンはちょっと駄目のようだ.今日の夕方も校門出てちょっとのところにある,雑誌にも掲載された某有名ラーメン店に行った.野菜と言って萌やしが築山のように盛られて出てくるラーメン屋.食べて居室に戻るまでの間にトイレで戻してしまった.具は100% made-in-Chinaだろうが,それとは関係ないだろう.やおらに量の多いものを食したが,胃で座りが悪いというか,食物というよりは異物のような違和感だったせいだろう. 今日は肉体的に疲労が蓄積していたせいかもしれない. 研究室に帰って,来週のスケジュール調整と思い,学部学生に電話する.彼の卒論は某D大との共同研究で,先方と訪問することになっていたからだ.来週の彼のスケジュールはどうか?いつが都合よいのかと尋ねるが,どうでも良いとのナマクラな返答.こっちで決めると告げると,「決まったら電話ください.」 これには腸が瞬間沸騰.その消火にMental Pointを消費する.「俺はお前の秘書じゃねぇ!」っと怒鳴りつけるほうがお互い健康的だったかもしれない. しばし,瞑想して気を鎮めていると,教授が学生室―私の居室―に来て,何やら職の話をしだす.要は公募を探して応募し,3月とかキリの良い時期なんて言わずにどこかへ行けということだった.大きな疲労感を覚えた.Tone down というより Torn down という感覚. まぁ,頭を切り替えよう.Junkを食べることができないのはDietに好都合.来る気のない子には放っておけば手がかからない.いつ抜けてもいいと.今の前途はAll Green と. 怪奇月食08/28/2007 月食は年に2回はあるものだが,食の時間に月が必ずしも地平線上に見えるわけではない.だから,頻度の少ない皆既月食を見ることができるのは有難いことなのだ.
実際,予報以上の雷雨. 突然,暗闇. 停電してしまった.まぁ,懐中電灯があるし….しかし,電池切れ….まだ,ロウソクがある.…マッチがない….ということで,廊下に出ると,非常灯だけだが結構明るかった.外を見ると,どうやらキャンパスだけが停電.大学の変電設備がやられたのかな? S助教に「ライター貸してください」とお願いすると,「タバコ止めた」とか.それでも暗闇の中机からライターを出してくださる優しいS助教.ロウソクは点いた.
などと口をつくのは世代が古い? しばらくすると,復電.どうやら大学のメールサーバが落ちてしまったらしい.ネットワークは生きているけど. 北海道、九州地方などで見られた28日の皆既月食【2007年8月28日 アストロアーツ】 誕生日08/25/2007 歳とともに誕生日の嬉しさはなくなってくるが,なんで誕生日にこんなことしているんだろうなぁっと憂鬱になった. 日が変わっていたのに気付いたのは深夜1時.研究室でご近所迷惑にも"PETボトル踏みつぶし"をやっていたときだ. 坊や達はやらないし逃げる. まぁ,掃除,ゴミ捨てを逃げるのはまだ可愛いほうで,末恐ろしいことに,輪読を逃げる. 単に私の教育能力の不足でもあるが,私も逃げているのだ. 結局,放任. 私もいい加減38歳になった.ここは大人になって割り切ろう. 理工系で損をした? ―第2報―08/19/2007 さて,学歴を勘案すると,法文系と理工系の賃金格差はどのようになるのだろう. 理系.infoには,2006年の大阪大学の報告によれば,22歳から60歳まで働くと仮定の下,理系の総収入が3億8400万円,文系の総収入は4億3600万円.差額,5200万円とか.この値の最初の印象は,生涯総収入が4億円前後というのが驚き.この記事は松繁寿和准教授(大阪大学)の調査1)をもとにした「理系白書」2)からの引用をしている3次資料なので,どの程度ことが正確になっているかわからない.ともあれ,松繁准教授の調査は,これは恐らく大阪大学の卒業生を対象にしているあろうから,一般より賃金が高い集団のハナシと思われる.本学も一応一流大学であるからして,この学生のボヤキにはこの調査を下に現実を探るのは悪くないだろう. ということで,国税庁の平成17年度資料3)と,松繁准教授の1997年の調査を比較してみる.国税庁の資料は年齢階層が5歳毎の表なので,10歳毎に変換した.
グラフを見ていただければわかるが,20歳以上のどの年齢階層においても,阪大卒(多分)の平均賃金は一般のそれより多く,30歳以上になるとダブルスコアの様相を呈する. 諸外国に比較して,日本では学歴格差は著しく小さいと言われてきた.
ということだ.後半の大学が乱造されたら有名大学が云々は筋が通っていないが,要は,大卒といっても大学によって質に雲泥の差があるということだろう. 学歴によって結果的に賃金格差がこれほど拡大してきたからと言って,格差社会は是正すべきというのは短絡的. ということで,私もかなりヒガミがはいる意見となるが,これまでの法文系の高賃金は労苦の割には報われすぎていたと思う.それは,特に金融証券業は国際競争にあまりさらされておらず,大きなコストダウンと高効率化を強いられてきていなかったからではないだろうか.しかし,金融国際解放がなされ,これからはそうもいっていられなくなるだろう.諸外国のホンモノの専門知識と,エゲツなくそれを利用する知恵を備えたものとの競争に晒されるからだ.もしかしたら,これからは製造業の中にいる方が安定して高賃金を得られるかもしれない.
理工系で損をした?08/19/2007 明日から院試―大学院入試―が始まる.3日間ではあるが,明日は外国語科目のみ.本学ではTOEICで外国語試験に変えることができるので,明後日から試験という学生がほとんどかもしれない. 毎年この時期になると,院試勉強のB4(学部四年生)をみて,M2(修士2年生)が言う;
理工系の学生にとって,鬱になる現実だ.いや,本当に現実なのか? 国税庁の「平成17年分民間給与実態統計調査」1)によれば,平均給与は金属機械工業が金融保険・不動産業を15万円ばかり上回る.ちなみに,昨今給与の良いとされるIT産業が属する運輸通信公益事業は50万円ばかり,平均で低い.とはいえ,いずれも全産業平均からみれば,70万から120万円ばかり平均給与は高い.文系クンが金融関係に行かなければ,得とは言えないのだ. 平均値での比較は大まかであるので,給与階級別―つまり,給与の分布で見てみよう.グラフに積み上げグラフ(累積分布グラフ)で給与の分布を示している. とすると,別に機械を出たからって損しているわけじゃないんじゃないの?ってことになる.しかし,実態とちょっとそれは離れている.それは,この業種別の給与では学歴,職歴が反映されないからだ. 表1: 業種別平均給与と中位点給与
1) 国税庁: 平成17年分民間給与実態統計調査 ,平成18年9月 終戦の日 -少年の場合-08/05/2007 私も先々長くないだろうから書けることは書いておこう.
広島県呉に生まれ育った父は当時旧制中学1年生だった.7月末より動員され鎮守府の工場で機械工をしていた.もとより機械系のセンスのない父なので,任せられた旋盤でのネジ切りで,捩じ込めないネジを量産していたらしい.時局困難なあの時期に益々物資を浪費するとは国賊モノ.しかし,周りの大人たちも仕方ないと諦めていたらしい.彼らとて本物の職工ではなかったからだろう.資源不足は物資だけでなく人材にも及んでいたようだ. よく晴れ上がった日だったらしい.瀬戸内の夏は暑く,昼前に工場外の広場に整列した際には,ゲンナリしていたそうだ.8月6日の新型爆弾の説明かと噂がたってもいたらしい.8月6日の朝礼時に広島方面から大きく立ち昇るキノコ雲を目撃し,その後の風説に広島全滅と流れ,誰もが広島市内の親戚や家族のの心配をしていたようだ.朝の爆撃に昼には既に捜索隊,救援隊が出発しており,その報告がされるのではと皆期待していたらしい.父も2人の姉が己斐と東雲におり,また,看護婦だった別の姉が広島にいったきり帰っていなかったのが心配だった.彼女らのその後が短かったのは言うまでもない. 期待は裏切られ,よく聴き取れない放送を聞かされた.
誰もが茫然だったようだ.誰もがやがて来る結末と諦観を抱いていたようだが,やはり,受容れてはみても実感には届かなかったのだろう.午後は作業打ち止めということで誰もがトボトボと帰宅したらしい.帰り道に不意に空襲警報がなることも―既に空襲警報は鳴らぬか,無意味となっていたらしいが―,米軍の艦載機に銃撃されることも,無くなると言われたのにはホッとしたとか. 翌日,父達徴用工は正式に解雇された.意外とそのあたりは軍も律儀で8月半月の給料に退職金も出たそうな.呉鎮守府という,被害が軽く―とかいいつつ呉市は焼け野原に近かったようだが―まだまだマシな街だから,お金も出せたのかもしれない.この退職金というのがとても嬉しかったらしく,特に,日割で大人と同じ額が出たというのを得々と聞かせてくれる.少年にとって大人と同等というのは昔から何よりも誇らしい栄誉なのだろう.同日に新規雇用され呉鎮守府の兵器解体,秘匿―土中に埋めること―の職をあてがわれたそうだ.残念ながらこの仕事では給与はほとんど出なかったようだ.8月末の給与日には雇用者は進駐軍になっており,チョコレート以外では,ドケチな米兵に労働を強いられたそうな. 皇国少年の身の翻し方は大人顔負けに早かったようで,9月には肉体労働に加えてGIクラブで下働きをするようになる.「英語を勉強するため」というが,どうだか・・・.GIにからかい半分で飲まされたCokeは衝撃的で,これが強者の味わう旨い飲み物なのだと思ったらしい.微妙な感想だ.当時のCoca Colaのフレーバーは薬のようだったと多くの日本人が語っている.森繁久彌も衝撃とは言っていたが美味とは言っていない.物心ついたときには戦時中でロクなものを食べていない少年だからこそ美味くも感じたのかもしれない. 戦後の間もない頃は衝撃的体験の連続だったらしく,父の話はとても長くなる.中学生の頃の私は,「お前まともに学校行っていなかったんじゃねぇの?」と内心反駁したが,絶対者に反抗するほど勇気はなかった.とはいえ,墨塗り教科書ばかり学校にいっても勉強なんてということだったらしい.鬼畜米英への敵愾心は,やがて,帝国を葬った国をこの目で見てみたいとの野望に変わったようだ.勉強して学を積まないことには日本を出ることもおぼつかないと思い至り,学校に戻ったようだ. 終戦の日08/15/2007
祖母は立ち上がりながらそう言ったそうだ.1945年8月15日.上海虹口にある住居の居間.木製アーチ型布張りのラジオの前に兄と正座されられていた当時6歳の母には放送の内容はわからなかったそうだ.祖母がそのとき安堵を覚えた,前途の多難を危惧したのか,27年間に及ぶ上海生活が去来したのか,今更ながら,尋ねておけばよかった. 明治33年(1900年)長崎県諫早生まれの祖母は,18歳のときに保守的な両親の下から出奔,上海に渡った.当時日本企業が多く大陸に進出し,上海には多くの日本人が住んでいた.祖母は,最初,郡是製絲株式会社(現グンゼ㈱)で現地縫製工―要は中国人お針子―の縫製指導員をしていたらしい1). 既に東洋最大の都市となり,「魔都」とも称された上海ではとても楽しい日々を送ったようだ.蘇州の湖で友人らと水着―大正時代の水着だから露出度は推して知るべし―を着て水遊びをしていたところ,現地警察に猥褻であるとして捕まったことを得々として何度も祖母は話したものだ.上海領事館から引き取りの迎えが―大仰だなぁ―まだ若かりし頃の重光葵だったとか2).東亜の中心都市であった上海には今流で言うセレブが多く集まっていたらしく,宋家三姉妹が輿に乗ってどっかへ行ったを見たとか,内山書店で茶をすすっていた魯迅と話したことがあるとか,若きイサム・ノグチを見たことがあるとか,祖母は,まぁ,嬉々として繰り返し繰り返し孫の私に語っていた.残念ながらセレブの世界には入れなかったようだが,船乗りだった祖父と出会い,結婚した. 重光葵に関しては「足が吹っ飛んだ」3)目撃談もしてくれることがあったが,既に,楽しい上海ではなかったようだ.祖父は,船乗りの宿命,家を長期で空けていたが,仲睦まじかったようだ.祖父は教養人で大人しい性格だったから我儘で苛烈な祖母と性格が合ったのだろう―合わせて貰っていた?.2人の男児を授かったが,上海事変(昭和7年(1932年))で炎上する市街を逃げ惑う中,背中におぶった次男が死亡.火除けの袢纏の下におぶられていたが,赤子は熱に耐えられなかったようだ.数年後,長男も誘拐され行方不明となった.当時―今も?-中国では児童人身売買が活発で,日本人児童は高値取引されていたようだ.そんなことに遭ったかは無論定かではないが,長男がいい人のところでいい暮らしができていればと祖母は願っていた.とはいえ,山崎豊子『大地の子』は「嘘っぱち」と大嫌いな小説だった.その後,叔父と母が生まれる. 日支交戦,満州・華北の戦闘が長江流域を遡上し,対英米開戦と泥縄式に拡大する戦争が「大東亜戦争」と呼ばれるに至り,上海の生活も時局の困難さが反映されるようになっていったらしい.洋装や長袢4)といった御洒落を好み,朝食はチーズとクロワッサンに紅茶と決めていた祖母―要はフランスかぶれ―も,モンペを穿かされ,マズイ日本食になったらしい―内地の人が聞いたら憤激.戦争末期には竹槍訓練もあったとか.貨物船の船長となっていた祖父は徴用され南方に行っていた.潮が引くようにユダヤ人商人がいなくなり,「李香蘭がフランス租界に逃げ込んだ」と流言が飛び,終戦は間近と虹口の誰もが確信していたらしい. 玉音放送は華人を明るくしたが,邦人には困難な時代を告げていた.祖父を待って引き揚げを延ばしたようだが翌年諦めて帰国.勘当されていたので長崎の弟の許に母子三人で居候となる.徴用されていた祖父は戦争協力者としてフィリピンでC級戦犯となっていた.引き上げ前後の混乱は,互助もあれば裏切り,騙しも横行し,また,外地引揚者への差別も待っていた.あまり聞きたい話ではなかった.話したい話でもなかったようだ.
昭和天皇のことである.一歳年下の「颯爽とした」摂政宮は,同年代の上海仲間ではアイドル的扱いだったようだ.ニュース映画や新聞で見る笑った顔がユーモラスだったり,洋装が「カッコ付け」っぽくダサい感じが彼女らに親近感を湧かせたらしい.畏れ多いとも思わず,それは日本を離れていたからなのかもしれないが,案外当時の日本人女性も今の女性セブン的に皇族を捉えていたのかもしれない.もっとも,2人の息子をとられたのだから赦しようにも赦し難いだろう.しかし,崩御の折に
と言った. 余談だが,祖母は平和主義者ではない.小学生の私に,
と超右翼発言を言い聞かせている.残念だか,幸運だか,大戦はなかったし,これから私が徴兵される戦争があるとすれば負け戦だろう.腑抜ケと揶揄されぬように,そうねぇ,Billy's Bootcampでも始めようかな.
1) 郡是製絲株式会社に雇われていたのが結婚前だったらしいが,同社がどのような形態で中国に進出していたかはよく分からない.グンセ㈱の社史を調べてみたいが,市販されているわけでもないようだし・・・. 2) 未確認.重光葵(しげみつ・まもる)は大正時代には既に外務省に入省し,各国公使をしているが,大正7年から12年の間に上海にいたかはわからない. 3) 重光葵は昭和7年(1932年)4月29日の天皇誕生日に,上海虹口公園での天長節祝賀式典で朝鮮独立運動家の爆弾テロに遭って右足を失っている.この祝典には在上海日本人が多数集まっており,多くの人が目撃している. 4) ツァンソンとかと言っていたが,多分,派手目のアオザイかチャイナドレスのことかな?復活の私08/10/2007
朝7時の時点で既に外気温31℃,室内気温32℃.寮のメイちゃんもウダル~っとダラダラしています. 中国から飛来する光化学スモッグか黄砂か,あるいは,フランスで貰った病気か,よくわからないけど,7月の初めからこのかた頭痛,咳,高熱と悩まされてきました.咳はどうにか良くなりつつあります.頭痛は相変わらず.熱は夕方から夜に微熱と悪寒.とはいえ,なんとか気力が回復しつつあるのが助け. やはり,病気になったらJunk Food食べないと栄養が補給できませんね.今回の特効薬は
石川台駅前のタコ焼きは下痢起こしましたが・・・.これでMagie Mooseのアイスクリームが食べることができれば,全回復―回腹でも開腹でもありません―なんだけど・・・. さぁ,出勤しましょう.
1) 興華: 大田区南千束にある中華料理屋.大陸系中国人留学生にいわせると台湾料理屋.某大機械系学生がここを覚えると,夜昼なく研究する状態に入った兆候.
出張旅費07/24/2007 気がつけば,もうすぐドイツ・フランス出張から帰って1か月になる.そろそろ,出張の様子も記録にとどめておこうかと思う.しかし,どうにも苦々しい 先月の出張は6/17発―6/27着で,6/25を休暇とし,他が公務.なぜそうなったのかは,直前に見学予定がキャンセルになったからだ.6/26にパリ,シャルル・ド・ゴール空港(CDG)を発って,機中泊で翌日6/27に成田(NRT)着.しかし,6/25が休暇となったため,6/25にCDG発で6/26にNRT着の見積もりをアイミツとして提出しろと経理からお達しがあった 困った.既に過去となっている航空便の旅客運賃の見積もり.当然,見積もりというのは事前にとるものであって,見積もりの日付は航空便の出発前でなくては矛盾が生じる.無理なことお願いすることになるなぁと思いつつ,今回の使った航空会社に電話
そうりゃそうだろうなぁ.大手エアライン という訳を経理担当に電話でお話.すると,
あぁ,そうか.大学というところは官公庁と同じで書類は厳しい.特に経理書類は厳しい.あまりの厳しさを回避するために,商社やナンデモ屋さんを間に介して伝票を操作して貰っていたりする.例えば,かつて校費は掛売りのみだったので,現物を購入したときは領収書を商社に渡して,見積書・納品書・請求書を発行して貰っていた.勿論,商社は伝票手数料として最低5,000円以上,購入額10%をとっていた.手続きの柔軟性を得るために,経理の不明朗部分をアウト・ソーシングしていたわけだ.
断られた となると,自腹
などとお伺いしてみたい.実際,経理がこのての「面倒くささ」を相手によっては適当にこなしてしまうのは知っている.今回の出張では国際会議の後,2ヶ所の大学と研究所を訪問する予定だった.この手の訪問には相手が受け容れを認めた旨を書いた書面を提出しなければならない.建前上は.しかし,方々の秘書さんとか助手さんの話によれば,どうも教授はこの限ではないらしい.というか,その書面を提出書類に添付してくる先生なんて聞いたことがないなどと言われたこともある.それができれば,公務と言って遊び呆けることができる―などと畏れ多いことは言わずとしても,休暇などとせずに適当に公務を入れて,アイミツをとることを回避することなど容易い. まぁ,助手―今は助教と呼称が変わったが―だから仕方がない.かつて助手になったばかりの時に同じ学科のI教授が言った.
全くその通りだ. |
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